心の空のまちから

クレヨンしんちゃんのまち“かすかべ"には“心の空”が広がっています!!

粕壁神明社の白い”にゃんこ"を捜していたら思わぬ発見があった?!

目次

白い"にゃんこ"たちはどこに?

前回書きましたが、粕壁神明社の白い“にゃんこ"たちにいつも会えるとは限りません。

そんな時は、今日はいないのかぁ、と何となく寂しく感じます。どこに行ったのかな?

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もしかしたら、と思い、拝殿前の門扉の隙間から覗いて見ると、、、

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「いたーっ」 拝殿の上の右端に何やら白いものが。お昼寝中のようです。やはりここの住人(猫)なんでしょうか?  それとも不法侵入者(野良ネコ)?

そして、さらに右の方に目を移すと何やら高いものがチラッと……ん 石碑?

改めて、「三峯神社」の祠の裏から見てみると、何やら石碑らしきものが見えました。

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さらに近寄ってみると
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間違いなく石碑です。

何回も神明社の境内に入りましたが、迂闊にも今まで全く気がつきませんでした。

そう言えば、普通、どこの神社でも見かける手水鉢、石碑、そして力石などがこの神明社の境内に無いのが、不思議に思っていました。

行ってみましょう!

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社殿の裏にまわると、

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左手に少し隙間が…

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物置の狭い所を入って見ると、

あった!

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石塔が数基並んでいます。力石もありました。そうだったんだ。

粕壁神明社は、マンション建設に伴って他の場所から今の場所に移転したので、この境内には、何も無いんだな、と勝手に思い込んでいました。やはりあったのです。

石塔・石碑

痘神

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一番手前左側の石塔には、よく見ると「痘神」(とうがみ、もがさがみ?・読み方はわかりませんが)と刻まれています。「痘神」の「痘」(とう、もがさ)とは、かつて世界で最も流行し、恐れられた疫病の一つ「天然痘(てんねんとう)」のことです。

また、痘神は疱瘡神(ほうそうがみ)とも言われ、疫病神の一種で、疱瘡(天然痘)をもたらすと信じられていました。そして、当時の人々は、病気の原因とされる疫病神を痘神(疱瘡神)として祀ることで、感染者の病状が平癒するようにお祈りしたと言われています。

現代の疫病・新型コロナウイルス感染症は、瞬く間に世界中に広がりパンデミックを引き起こしました。現在も日本のみならず、欧米諸国で大きな波となって猛威を奮っています。

交通が発達していない時代の伝染病は、村から村へと順々に伝わって行きました。 日本の場合も、疱瘡(天然痘)は恐れられ、人々は「疱瘡神」あるいは「瘡神(くさがみ)」がやって 来て、病気を起こすのだと考えたそうです。

そこで、江戸時代の人々は町や村の入口に「疱瘡神」を祀って、町や村の中に入ってこないようにお願いをしました。もちろん粕壁宿でも「八坂神社」や当「神明社」を祀り、疫病封じ、疫病退散を祈念したことは容易に想像できます。

青面金剛

その右は「青面金剛」。右側面には「文化十四丁丑年(1817)春三月吉祥日」と、

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また、左側面には、「粕壁  山中」(これは当地の字名)と刻まれています。

猿田彦太神

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その右は「猿田彦太神」。その側面には「文化十三年丙子(1816)十一月丙午朔十五日庚申建」と刻まれています。200年以上前の庚申信仰の名残りなのでしょう。

散留當ひこ乃碑

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さらにその右奥の丈の高い石塔には、刻まれている文字は崩し字の為、よくわかりませんでしたが、いろいろググッてみると「散留當ひこ乃碑」と刻まれているようです。

また、その右側面に「弘化三年丙午(1846)三月庚申立」とありますので、「庚申信仰」に因んだ石塔であることだけは確かです。

几号水準点

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その左側面には「神明道長廿四丈三尺廣八尺不」と刻まれています。最後の文字は「不」(あらず)と読めますが、これは漢字の「不」ではなく「几号(きごう)」というものだそうです。

なお、几号水準点とは、明治初期に高低測量を行うために設けられた基準になる測量点だです。初めて知りました。

この方のブログがとても参考になりました。

↓↓

几号水準点って何?

「几号水準点」が刻まれているということは、この石塔は、奥州街道(日光道中)沿いの神明社の参道入口付近に建っていたと推測されます。

なお、この几号水準点は、明治初期に定められたとのことですが、石碑そのものには、弘化三年(1946)の建立と刻まれていますので、もしかしたら、この「不」の几号だけ、明治になって刻まれた可能性があります(これも推測です)。

歌碑?

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そしてその右隣の石碑は、和歌のようなものが刻まれた歌碑のように見えますが、知識がないので、刻まれた崩し字は読めません。

力石・石塔(道標)

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その奥には力石と小さな石塔が二基。

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道標?

 

このように白い"にゃんこ“たちのお陰で思わぬ発見(大袈裟な)がありました。感謝!!

 

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