心の空のまちから

クレヨンしんちゃんのまち“かすかべ"には“心の空”が広がっています!!

小渕追分の道しるべ(其の一)・自然石の専用道標

目次

市内最古の道しるべ

日光道中の小渕一里塚から日光方面にさらに100㍍ほど行くと小渕南の交差点の手前で日光道中と関宿道が分岐します。

f:id:takejiisan:20200322081602j:plain

👈奥州道(日光道中)関宿道👉

 

f:id:takejiisan:20200321201440j:plain

小渕追分 

ここの追分に自然石と庚申塔の二基の道しるべがあります。これらの道標は、市内最古の「道しるべ」と言われています。

f:id:takejiisan:20200321201641j:plain

小渕追分道標

向かって、右の自然石には「左方あうしう道(奥州道)」、宝永4年(1707)9月吉日 橋本六兵衛 右□□やと道(関宿道か)」と刻まれています(専用道標)。読めませんでしたが。(春日部市史/第六巻/通史編I)

f:id:takejiisan:20200321201748j:plain

自然石の専用道標

関宿道

江戸時代、関宿道は通称四里八丁と呼ばれ、関宿(千葉県関宿町)と江戸を結ぶ重要な道筋でした。この道筋は、この小渕追分が日光道中と関宿往還の分岐点になりました。関宿道は、小渕から杉戸町桑崎までの約1キロメートルの道筋です。(春日部市史/第六巻/通史編I)

宝永4年

この道標の建立は、宝永4年(1707)となっています。今から約300年も前です。この道しるべの建立の直後、宝永4年10月、宝永地震(ほうえいじしん)と呼ばれる巨大地震が起きました。宝永地震は記録に残る日本最大級の地震とされています。さらに、宝永地震の49日後に、富士山が噴火しました。宝永の大噴火と呼ばれる大規模噴火です。

噴火がみられたのは富士山の東南斜面であり、合計3つの火口が形成されました。「宝永山」と呼ばれる所です。静岡県側から見ると、富士山の右上に凹んでいるように見える箇所があります。

なお、この宝永大噴火以後、2020年の現在に至るまで富士山は噴火していません。宝永大噴火は、富士山の最後の噴火です。

道しるべ 

道標(どうひょう、みちしるべ)は、道路に目的地(主として大きな町)までの距離や方向を示すために設置されたものです。多くは、自動車での交通が発展する以前に造られ、江戸時代のころに設置されたものが多い。また、設置される場所としては街道の分岐点(追分)などの路傍が多く、その他、町中の表通りの交叉路や山中、峠に設置されるものもあります。   

形状

形状としては、かすかべ大通り沿いの旧商家 東屋田村本店の前に建つ「道しるべ」のように、無垢の石を四角柱状に削りだして造られたものが多く、この道標のように原型の石塊に近いものや積み石状のもの、地蔵の台座、常夜灯や灯籠に案内表示を刻んだものもあります。旧くは木製のものが多かったとされるが耐久性に劣るため、現在残っているもの多くは石造のもので、石材としては花崗岩が多い。   

寄進による

近代以前の道標の多くは公に設置されたものは少なく、大抵はその土地の有力者によって寄進されたものが多く、裏面に寄進者の名や設置年月が刻まれていることが多い。明治以降のものの多くは自治体(都道府県)によって設置されました。かすかべ大通り沿いの旧商家 東屋田村本店の前に建つ「道しるべ」もそうでした。

 

 過去記事(最初の記事)

takejiisan.hatenablog.com

 

 

 【小渕追分】

 

 

 

 

 

 

 

Copyright©2018-2022.Takejiisan.All Rights Reserved.
当サイト内の文書・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。