“心の空”のまちから‥

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牛島の村社女體神社(其の三)余談ですが・・

目次

前回からの続き…

前回、前々回と牛島女體神社のことを書いてきました。

今回はあくまで余談ということで…

牛島地区には国指定天然記念物の藤で知られる「藤花園」や「春日部第1児童センターエンゼル・ドーム」があります。

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エンゼル・ドーム

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やあ!みんな…

そして市営牛島公園

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牛島公園

文字がよく見えませんでしたね。

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アーチが

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牛島野球場

牛島公園には野球場があり、以前は高校野球の県予選が行われていました。今はどうのなのでしようか?

東日本大震災のあった平成23年の春、高校野球春季大会の県予選を観戦しました。

その最中、大きな地震(余震)があり、スタンドやバックネットの揺れる音で、とても怖い思いをしました。あの頃は、市内の何処にいても余震がありました。間もなく“あの日”がやってきます。

牛島の地名

郷土史家の須賀芳郎氏は、

「埼玉県地名誌」には、ウシジマはウチ(内)ジマの意とみられ、シマには(1)川添いの耕地(2)村の意がある。おそらく川荒れによりおこった地名とみるとある。
小野文雄先生(春日部市史監修者)著の「埼玉県の歴史」の中で國府への道(古道)は、武蔵國は東山道に属しており東山道から國府までの五駅の一つである浮島の駅(うまや)の地で後に牛島と変化したのではないかとの説がある。

(広報かすかべ/かすかべの歴史余話(幸松の地名・下)/昭和54年7月/)

と書いています。

「浮島の駅」のことはよくわかりませんが、牛島地区は古利根川と庄内古川に囲まれた地域であり、地形的に低湿地のため浸水被害が多い地域といわれています。

自分としては、「内島(ウチジマ)」→「牛島(ウシジマ)」のほうがしっくりきます。

東京・墨田区向島の牛島神社

一方、『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』(埼玉県神社庁/1998)には、

また、同書(『明細帳』(神社明細帳))によると、墨田区向島の牛島神社は当社(女體神社)から勧請したものとするが、その真偽は確認できない。

との気になる記述がありました。 

真偽が確認できないということなので、果たして史実なのか否かは全くわかりませんが、『明細帳』という明治時代の公的な台帳にこのような記述があることだけは確かのようです  

創建

その東京・墨田区向島の牛嶋神社ですが、その創建は平安時代の貞観二年(860)と古く、江戸時代までは「牛御前社(うしのごぜんしゃ)」と言われていて、牛宝山明王院最勝寺という寺が別当としてが管理していました。 

そして明治初年の神仏分離で現在の「牛島神社」となったそうです。「狛牛」や「撫で牛」からも牛との関わりが窺える神社だそうです。  

また、隅田川に沿う旧本所一帯の土地は、昔は「牛島」と呼ばれていて、その鎮守として牛島の神社としたとも言われています。

ご祭神

ご祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)・天之穂日命(あめのほひのみこと)・貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)の三柱。

↓↓

牛嶋神社【うしのごぜん社】 - 東京都神社庁

こちらも

牛島神社|墨田区向島の神社、牛御前社、本所総鎮守、旧郷社

別当寺の最勝寺については、

牛宝山明王院 最勝寺(通称:目黄不動) | 天台宗東京教区 公式サイト

その由緒正しき「牛島神社」は当地の女體神社から勧請されたと…

逆に墨田区の牛島神社を勧請して当社へ、とならばわかりますが。 

当たり前ですが、東京・墨田区の牛島神社を調べても、どこにもかすかべの“”の字も見当たりません。ご祭神も全く異なります。

また、「牛島女體神社は元禄4年(1691)7月吉日に再建された」との記述が埼玉県神社庁のサイトにありました。

再建と言うからには、創建はもう少し古いのかもしれません。史実か否かは別として、梅田女體神社の創建が延喜元年(901)と言われていますので、ひょっとしたら当牛島女體神社の創建もかなり古いのかもしれません。

とにかく、墨田区向島の牛島神社に勧請したというご祭神は一体何で?  それは何時頃のことなのでしようか? 

  1. 別当寺の元真言宗の蓮花院(廃寺)→天台宗の牛宝山明王院最勝寺と言う形で勧請されたか?
  2. もちろん直接勧請された?
  3. それは明治初年の神仏分離令の時か?
  4. それとも元禄期の女體神社再建の時まで遡るのか?
  5. 更にそれ以前なのか? 
  6. 別なのか?

など、とても気になります。  

そこで、

考察(愚考)

平面の地図で見る限り、墨田区牛島(本所一帯)も隅田川の辺りにあり、地形的には当“かすかべ”の牛島地区とよく似ています。

飛鳥時代から牛が飼われていたともいわれていますが、低湿地の土地に放牧地があったのでしょうか?

かすかべの牛島地区のほうが余程放牧地らしく見えます。

そして、このサイトには、

祐天上人隠棲地「牛島」 第10号(H9-2-15) | 祐天寺歴史文化館

牛島の地名は、あたかも牛が寝そべっているかのような、この土地の緩やかな起伏によると言われます。

と書かれています。

こちらのほうがしっくりきます。

そして、向島は江戸の中心部から見て丑(牛)の方角に位置する土地なので、丑(牛)からきているのではないか?とも考えられます(私個人の考えです)。

なお、丑の方角とは、北北東よりやや南の方角だそうです。

そして、墨田区には柳島とか寺島などいう地名もありますので、耕地を意味するシマ(島)と呼ばれた土地だったのでは?

要するに、牛島は丑(牛)の方角にある耕地(シマ)で、対岸の浅草から見るとあたかも牛が寝そべっているように見えた土地だったのかもしれません。

いずれも、確かめる術もありませんので、推測の域を出ません。むしろ暴論の類かも?

何かと重なる点

とにかく、この“かすかべ”には、

  1. 隅田川(古隅田川)が流れている
  2. 三囲神社があり同じ伝説がある   
  3. 謡曲『隅田川』で知られる同じ「梅若丸伝説」がある
  4. 在原業平東下りに因む「都鳥の碑」や「業平橋」がある

などと、東京・墨田区と何かと重なる点が多いのです。 

 

面白いでしょう。興味は尽きません。

 

[過去記事]

 

takejiisan.hatenablog.com

 

 

 

takejiisan.hatenablog.com

 

纏まりませんでしたが、このような愚にもつかないことを考えみました。  

 

ここに書いたことは、あくまでも私個人の考えです。もちろん東京・墨田区の牛嶋神社に異論を唱える気持ちは毛頭ございません。 

 

年寄りの戯言としてご理解頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 

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