心の空のまちから

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牛島の村社女體神社(其の一)なぜ女體神社になったのか?

目次

牛島の村社女體神社

かすかべには女體神社が梅田と牛島に二社あります。 

歴史はそれぞれ異なるものの何れもその地域(村)の鎮守(村社)として地域の人々の信仰を集めてきました。

今回は、牛島にある村社「女體神社」のことを社名を含めいろいろと考えてみます。

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牛島女體神社全景

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社名標

縁起・由緒等

梅田の女體神社と異なり、牛島の女體神社には、特に説明板などは設置されていません。従って、現地に行っても縁起や由緒などはよくわかりません。 

郷土史家の須賀芳郎氏は「ふるさと春日部『春日部の神社』(1996年〜)・女體神社」の項に

鎮座年月日は不詳。縁起等もない。

『新編武蔵風土記稿』には、 

女體社、村の鎮守なり、蓮花院持ち

と、それぞれ、簡単に書かれています。

なお、「蓮花院」とは、牛島の藤で知られる「藤花園」にあった真言宗天女山蓮花院のことで、「藤花園」のホームページには、

当園は元真言宗連花院の境内なりしを
明治七年当寺の住職藤岡好三氏其の筋へ出願なし、廃寺となり爾来所有者変わり現在にいたる。

と明治の廃仏毀釈令で廃寺になったことが記載されています。

↓↓

藤花園 ~牛島の藤~

また、『武蔵国郡村誌』には、

女体社、「村社」で村の西方にあり、息長足姫を祀る。祭日二月十五日」

ここには、息長足姫を祀る、と。息長足姫と言えば、応神天皇の母、神功皇后のことですね。神母(じんも)・聖母(しょうも)ともいわれていて、子育ての守護神として、また病魔退散のご利益を求める信仰もあるそうです。

当初は神明社

また、埼玉県神社庁発行の『埼玉の神社:北足立・児玉・南埼玉』によると、

鎮座地の字名は神明といい、更に『明細帳』に載せられる末社に神明社がある。このことから、当社は、元来神明社として祀られていたが、何らかの事情で、後に女体神社となり、神明社はその末社となった可能性が考えられる。現在、この神明社の存在は確認できないが、社名不明の末社がこれであろうか。また、同書によると、墨田区向島の牛島神社は当社から勧請したものとするが、その真偽は確認できない。 

―中略―

昭和七年、火災により社殿が全焼してしまった。焼失後の片付けの際、神像と思われる炭化した立像が発見された。社殿内にあったほかのものはすべて灰燼に帰してしまったので、昭和十年に社殿が再建された折には、再びこの像を神体として祀った。 

―以下略―

※『明細帳』とは『神社明細帳(じんじゃめいさいちょう)』のことで、内務省および庁府県に備え付けられていた神社の台帳。明治5年(1872)に神祇省(神祇の祭祀と行政を掌る機関として半年間設置された)から地方庁に神社の調査が命じられ、翌年、その進達にもとづいて社格の決定を記載した台帳。

『明細帳』によると、この女體神社の鎮座地の字名が神明で、当女體神社は当初、神明社だった?

神明社のご祭神は天照大神。そして神明社が現在の社名になった経緯は不詳とのこと。 

また、別当寺の「蓮花院」が廃寺となったため、古文書等が散逸し、この牛島女體神社の縁起・由緒等も一切不明になり、更に戦前の火災でご神体も神像一つを残してすべて焼失したと記されいています。要するにすべては?なのです。

はっきりした鎮座年月日等は不詳ですが、『新編武蔵風土記稿』や『武蔵国郡村史』に記述されていることから、江戸時代以前ということは間違いなさそうです。

なお、埼玉県神社庁のサイトには、元禄4年(1691)7月吉日に再建されたとの記述があります。

↓↓

女体神社 | 埼玉県の神社

注目すべき点は、東京・墨田区にある「牛島神社」は、当地、牛島のこの神社を勧請した、との記述です!!!

東京・墨田区向島の牛島神社は牛に関係する神社として知られています。事実なのか?

とても気になります。

なお、この点については、改めて・・・

ご祭神は

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一の鳥居

更に、牛島女體神社のご祭神について、前掲の『埼玉の神社:北足立・児玉・南埼玉』には、

主祭神は、比賣命(ひめのみこと)・奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)の二柱

と書かれています。比賣命(ひめのみこと)は、海神(女神?)で、大分・宇佐市の宇佐神宮のご祭神の一柱。

また、奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)は、須佐之男命の妻とされる日本神話に出てくる神さま。

須佐之男命の母神は伊邪那岐命 、そして伊邪那岐命といえば梅田女體神社のご祭神でしたね。

takejiisan.hatenablog.com

合祀令で

更に、明治39年のいわゆる「合祀令」を受けて、字前田の「荒神社」・字前川原の「天神社」・字三本木の「稲荷社」の三社の無格社を合祀したことにより、奥津彦命(おきつひこのみこと)・奥津姫命(おきつひめのみこと)・火霊之命(ほむすびのみこと)・菅原道真公(すがわらみちざねこう)・保食命(うけもちのみこと)が相殿(合殿)神となって、多くのご祭神が祀られることになりました。 

なお、

前出の「ふるさと春日部『春日部の神社』(1996年〜)・女體神社」や埼玉県神社庁のサイトには、ご祭神として、竈の神とされる奥津彦命・奥津姫(比売)命と書かれています。

でも、竈の神二柱では、女體神社のご祭神としては、ちょっと・・・

 

また、焼失を免れたとされるご神像が何なのか、この点も気になります。

 

もちろん、神社名変更の経緯や事情などについては、史料も無く、私ごときにはまったくわかりませんが、梅田の女體神社と同様、子が丈夫に育つことを願って牛島のこの神社も同名の女體神社としたのではないでしょうか。そのほうが自分としてはしっくりきます。

 

そうすると、牛島女體神社の主祭神は、やはり『武蔵国郡村史』の記述通り、聖母の息長足姫(神功皇后)なのでしようか?  それともやはり奥津彦命・奥津姫(比売)命なのでしょうか?

私ごときが異論を唱えるつもりは毛頭ありませんが、とても気になります。

 

ここに書いたことのは、あくまでも個人の考えです。どうぞご理解ください。 

 

 

 【牛島女体神社】

 

 

 次は境内をご紹介します。

 

続く…

 

 

 

 

 

 

 

*1

 

*2

 

 

*1:参考図書:『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』埼玉県神社庁/1998、「ふるさと春日部『春日部の神社』/須賀芳郎著/1996年〜)・女體神社」

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