心の空のまちから

クレヨンしんちゃんのまち“かすかべ"には“心の空”が広がっています!!

年の瀬の風物詩・粕壁神明社の「酉の市」

目次

毎年12月14日は

12月14日は、忠臣蔵の赤穂浪士討ち入りの日ですが、ここかすかべでは「酉の市」が立つ日として知られています。

令和最初の「酉の市」が、先週14日(土)が行われました。「酉の市」は日にちか固定されているため、年によっては、ウイークデーの年がありますが、今年は週末の土曜日になったので大勢の参拝客が訪れました。

東武スカイツリーラインの春日部駅東口から数分の所、食品スーパーの隣に鎮座している小さな神社「神明社(神明神社)」がその舞台です。 

粕壁神明社(神明神社)

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神明鳥居

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昭和42年5月建立
ご祭神・由緒

ご祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、鎮座年月日などは不詳とのことですが、境内の説明板によると

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粕壁神明社の歴史

当社の御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)です。

天明年間(1781ー89年)に地元の豪族九里四郎兵衛が竹藪(たけやぶ)の土中から厨子(ずし)に入った神体と鏡が出てきたので、祠を建てて祀ったのが始まりであるという。

当社は、七月二十一日の例祭と十二月十四日の新穀(しんこく)感謝祭の年2回の祭りが行われる。

例祭は、かつて伝染病がおそれられていたころ、「疫病(えきびょう)封じとしてはじめられたという。

新穀感謝祭は、明治以降は商売繁盛を願う祭りとなり、『春日部のお酉(とり)様」として大宮氷川神社の「十日市」に続く酉の市で、福熊手を売る露店が並び、多くの参拝者が訪れる。

当社は、元来は個人持ちの社であったが、やがて宿場の守り神として多くの人々の信仰を集めるようになった。

氏子は、現在、上町、春日町、仲町の三町内で、ほかに「神明講」の人々も、年2回ので祭典に参列している。

            粕壁神明社

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普段、門は閉まっています

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祭礼の時だけ開門
個人の屋敷神

口碑によると、天明年間、当所(粕壁宿名主見川家?の屋敷)に居住していた九法四郎兵衛(くのりしろうべい)が、屋敷内を開墾中、土中よりご神体と鏡を発見した。名主はこれを屋敷内にお祀りし、字地(山中)の氏神として崇敬したと伝えられています。九里四郎兵衛が如何なる人物かはわかりませんが、当社は、見川名主(見川喜蔵)の屋敷神(個人的な?)のような社(やしろ)だったようです。

しかし、このご神体はいつの頃か盗まれてしまい、現在本殿の内陣(ないじん)に安置されている雨宝童子(うほうどうじ)立像は後年に作り直したものだそうです。

雨宝童子(うほうどうじ)‥両部神道の神。右手に宝棒(ほうぼう)、左手に宝珠を持つ童子形の神像で表される。天照大神(あまてらすおおみかみ)が日向(ひゅうが)に下生(げしょう)したときのお姿。また、大日如来の化現(けげん)したお姿ともいう。

説明板にあるように、もともとは個人で祀っていた神社で、特に氏子を持っていたわけではありません。

しかし、近隣の人々の信仰を集めるようになり、やがて宿場(粕壁宿)の守り神として多くの人に信仰されるようになりました。境内の石造物等には、上宿、仲宿などの人々の名が入ったものが多く奉納られており、信仰の厚さを物語っています。

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灯籠左側

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灯籠右側

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狛犬・吽形

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狛犬・阿行

以前は現在地よりも50mほど北側に社殿がありましたが、東口の区画整理に伴ない、昭和62年9月、現在地に移転、新築されました。一時、マンションの屋上にお祀りする案もあったそうですが、流石にその案は採用されなかったそうです。  

境内社・三峰神社

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境内社・三峰神社

酉の市

毎年、新穀感謝祭の日の12月14日(固定)に「酉の市」が行われます。さいたま市の大宮氷川神社「十日市」に続く「酉の市」で、「おかめ市」の通称でも知られています。近年、毎年一万人ほどの人出でがあるそうです。

夕暮れ時の神明通り

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準備中・そろそろ人出が…

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縁起ものの福熊手

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威勢の良い掛け声も

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シャンシャンシャンと手締め

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にぎやかに楽しんで

今年も夜遅くまで威勢の良い掛け声が神社周辺に飛び交い、年の瀨の風物詩となっています。

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普段の神明通りはこんな感じ…

いつもの余談

※あくまでも自分の考えです。

この神明社(神明神社)の御祭神は天照大神ということです。天照大神は、皇祖神とされ、伊勢神宮内宮の主祭神です。平安時代の初め頃までは、貴族など上流階級の限られた人しか参拝できませんでした。

その後、伊勢神宮は財政難に陥り、打開策として神職の御師(おんし)を全国に派遣し、伊勢信仰の普及に努めました。

そして、江戸時代中期頃には、一般庶民の間にも「一生に一度はお伊勢参り」などと庶民の信仰を集めてきました。

※御師(おんし)とは、伊勢神宮に仕える神職で伊勢参りを広めるのに、大きな役割を果たしたとされる。御師は各地でお札を配り、お得意先を勧誘。道中の手配や宿泊、神楽奉納も請け負った。言わば、現在の旅行会社やガイドの草分け的な存在であった。その「営業」範囲は、北は津軽、南は、九州・薩摩にまで及んだという。

疲弊・困窮した時代

特に粕壁神明社が祀られたとされる天明年間は、大飢饉、浅間山の噴火など世の中が騒然とし、民が疲弊・困窮した時代でした。恐らく粕壁宿周辺も例外ではなかったと思われます。九里四郎兵衛が屋敷内を開墾していたのも、甘藷(サツマイモ)など食料確保の意味があつたのかも知れません。

そのような時代背景もあり、粕壁宿の商人の間に「お伊勢さん」信仰が広がったのではないでしょうか。

今でも、粕壁宿周辺の神社には、「伊勢講」に関する石碑が数多く見られます。

もしかしたら、「御師」(おんし)も当地に普及に来たのかも知れません。

そして、明治期以降は、商売繁盛の神として、宿場の守り神として、人々の信仰を集め、230年ほど経ったこの令和の時代にも変わらず多くの方が参拝に訪れています。

 

 

 

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*1:お知らせ:今まで使用していた「www.takejii.xyz」のドメインは、今週12月18日(水)をもって失効します。

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