風天のタケジイ自由帳

白頭翁(風天のタケジイ)の趣味と遊びと健康の自由帳(日記)です。

今日は東京・銀座でぶら歩き

1月19日(土)午後から近鉄が主催する大和文化会例会に行ってきました。

和文化会

近鉄グループホールディングスでは、昭和15年から奈良大和路の歴史・文化を紹介することを目的に、関西から講師を迎え年度会員制の文化講座大和文化会を首都圏で開催しています。

沿革

昭和15年、近畿日本鉄道㈱の全身である大阪電気鉄道㈱および参宮急行㈱両社の東京出張所現、東京支社が大和の歴史地理を勉強する通俗地理歴史会を発足させ、昭和22年、名称を大和文化会に改称、現在にいたります。

同会のHPより。

本日の演題:「古代の日向とヤマト王権ー五世紀代における日向系王族の動静を探るー」。
講師:境女子短期大学名誉教授・名誉教授の塚田義信氏。
 日本の歴史において、謎が多いと言われる四、五世紀。南九州の日向(宮崎県)に、巨大古墳の造営が集中して見られることから、日向系王族が奈良のヤマト王権を支援していたのではないか、と言う内容の講演でした。
 なお、講演の概要は、「大和文化会」のHPに後日掲載されます。
「大和文化会」のHPは、こちら
↓↓
近鉄グループホールディングス株式会社|文化事業|大和文化会
会場の「『銀座ブロッサム』中央会館」に向かいます。

地下鉄日比谷線の東銀座駅で下車すると、目の前は、歌舞伎座

正月公演 新春大歌舞伎

演目

隣には、歌舞伎稲荷大明神

歌舞伎座の横を会場に向かう途中、銀座三丁目郵便局の隣に神社がありました。

小ぶりですが、朱い鳥居
 
狛犬(吽形)

狛犬(阿行)

「宝珠稲荷神社」と言う神社です。

案内板 金属製なので、光線の具合で、よく見えません。

宝珠稲荷神社

境内の案内板

宝珠稲荷神社は一六一五年の頃三河の国深溝の領主板倉内膳匠重昌の江戸屋敷内に家内安全火除の神として祭神せられたるものなり
内膳匠重昌は京都所司代江戸町奉行として令名髙かりし板倉勝重の次男として一五八八年後陽成天皇の御代天正十三年の頃の生れである 重昌は武勇に富み敬神の念厚く大阪冬の陣島原の乱等に追討軍令として鎮台に務めたるも不幸にして島原に於て年令五〇才にして戦死したるものなり 
時の将軍は家光であり第一一〇代後光明天皇の御代である 内膳匠の兄周防の守重宗は下總の国関宿の城主なり 年経て一七六〇年宝暦年間岩見の国津和野の城主亀井家に譲渡せられたるものなり
明治の維新に於ける亀井滋玄の功積は太鼓稲荷と共に有名なり 更に大正七年岡山の岡崎家に売却されたるも爾来本神社は敷地と共に地元木挽町三丁目氏子に寄進せられ一九五〇年地元氏子有志相計り隣接地を買収し社殿及社務所を建設して今日に至るものなり
 一九七ニ年五月
  宗教法人 宝珠稲荷神社
  東京都中央区銀座三丁目東町会


眷属は、表は狛犬、中は可愛い狐。
 
 さすが、お江戸(東京)には、面白い所が沢山ありますね。



会場に到着

講演会終了後銀座へ、間もなく歩行者天国も終了。
 
アップル
 
黄昏の銀座四丁目交差点

 歩行者天国には、外国の方の姿がとても多く見られました。たまには東京もいいですね。
 
19時前に春日部到着。
人が多い東京から春日部に帰ってくると、何故かホッとします。

※「大和文化会」では、2月の初めに来年度の会員募集が始まります。ご興味のある方は、同会のHPをご覧下さい。

 最後までお読み頂きありがとうございました。

古利根旅情・冬の主役はユリカモメ!

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大落古利根川に架かる「古利根公園橋」

 この橋は、昭和59年(1984)に市制30周年を記念して造られた日本でも珍しい橋上公園です。全長は79メートル。

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冬の主役は、君だ「ユリカモメ」!!

 でも、何故一羽なの? もしかして、名前は、ジョナサン? それとも、“ヒトリ”という鳥かな?

 ジョナサンとは、1970年代に公開されたアメリカ映画『カモメのジョナサン』のあのジョナサンです。仲間と離れて交わらない孤高のカモメ、ジョナサン。内容は忘れましたが、タイトルだけは今でも覚えています。 

 そう言えば、「やもめのジョナサン」というのもありました。

 菅原文太さん主演の映画『トラック野郎』シリーズで愛川欽也さん演じる、相棒の“やもめのジョナサン”、と言う架空の人物です。でもジョナサンには、奥さん(確か春川ますみさんが演じていました、それに子沢山)がいましたよね。なのに、何で“やもめ”なんでしようか?

 やはり、カモメのジョナサンからパロった(パロディ化した)んでしようか。わかりません。

 因みに、この『トラック野郎』というタイトルですが、当時流行っていた映画『男はつらいよ』シリーズで、渥美清さん演じるフーテンの虎さんに対抗しようと、トラを食う(凌ぐ)という意味で、トラを食う野郎、つまり『トラック野郎』としたのだそうです。文太さんが亡くなった時の追悼番組で知りました。制作の方は、よほどパロディが好きだったんですね。

 前振りが長くなりました。そろそろ本題に入ります。

 春日部市の市鳥(市長ではありません)は、ご存知の通りユリカモメです 。因みに東京都の鳥もユリカモメ。

 ユリカモメは、春日部市を象徴する鳥であり、公園橋のアーチ春日部市の特産品『麦わら帽子』の形をしています)の先にもモニュメントが飾っであります。見上げてみてください。

 また、ユリカモメは漢字で「百合鴎」と書くカモメ科の鳥です。色が百合の花のように白いから「百合鴎」とする説、河口の入り江に多く生息しているので、入り江のカモメが転じてユリカモメとなり、花の百合の字が当てられ「百合鴎」となったとする説など諸説あるそうです。なお、カモメ、シロカモメ、セグロカモメウミネコなども仲間の鳥だそうです。

 ところで、

「名にし負はばいざ言問わむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」  

(なにしおはば いざこととわんみやこどり わがおもふひとはありやなしやと)

 有名な『伊勢物語』や『古今和歌集』にある歌です。その『伊勢物語』(九段・東下り)には、その鳥は、「白い鳥で、嘴(くちばし)と脚(あし)が赤い」とありますので、業平が見た都鳥は、やはりこのユリカモメだったのでしょうね。この由来に関する石碑が、春日部八幡神社の入り口に建っています。

 公園橋の少し上流にある新町橋のすぐ上流に左から合流しているのが「古墨田川」、大落古利根川に合流(昔は流れる方向が今と逆だったとか)しています。文字通り“古い墨田川”なので、もしかしたら、在原業平もこの辺にきたのかなあ、と考えると、春日部市民としては、ロマンが膨らみます。 

 また、芭蕉35歳の時の句に、

「塩にしてもいざ言伝えん都鳥」

(しおにしても いざことづてん みやこどり)

 という句があるそうです。

 都(京都)に帰る俳人仲間に対する餞別の意味で読んだ句とのことで、都へ帰る友に、「都鳥を塩漬けにしてでも持って帰ってください」、と言う意味だそうです。芭蕉にかかるとユリカモメは、塩漬けにされてしまうのですね(もちろん比喩だと思いますが)。

 この句は、先の歌をパロった(パロディ化)もの、と言われています。それにしても、洒脱な句ですね。

 芭蕉も当然、伊勢物語古今和歌集を知っていたと言うことで、興味深いですね。

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欄干の上はラッシュ状態 押さないで、ハイ整列 番号! 1 2 3 …

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こっちにも、 欄干は、君達の“落としも”ので少々汚れ気味、お帰りの節は、綺麗にしていって下さいね。

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ふうーっ、風が強くて疲れました。

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よっ、ご両人.!

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川面には、大勢のユリカモメ固まっています。もしかして、ユリカモメのミナサン(ジョナサンではなく)ですか?

 古利根川のユリカモメは、11月中旬頃に遠く、ユーラシア大陸カムチャッカ半島の方から日本に飛来して、3月初旬頃には、再びかの地へ飛び去って行きます。

 滞在期間は長くはありませんが、冬の風物詩として、市民を癒やしてくれます。どこかのバーゲンセールみたいですが、「今だけ」

です。見ると本当に癒やされますよ。一度お出かけ下さい。

 

最後に、一言

 春日部には、いわゆる“ゆるキャラ”がありません。一応あるにはあるのですが、“キモカワイイ”ということで、活躍していません。

 そこで、新たな、“ゆるキャラ”として、市鳥のユリカモメは、どうでしようか。

 ユリカモメなので、“ユーリカちゃん”とか、“ゆりかくん”でもいいと思いますが、国際的なスター“しんちやん”に頼らず、春日部を元気にしてくれるかもしれません。タケジイの妄想です。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

 

 

 

ブログ初心者に贈る言葉:自分にとってブログを書く意味を考えてみた。

今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉

 昨年春、ある役職を退いたのを機に「さて、これからどうする、何をする?」と自分なりに考えました。
 
 これといって趣味が無い私。パチンコなどの賭けごとはやらないし、ゴルフもとうの昔にやめてしまったし、かといって、ゲートボールやグランドゴルフはなぁと、しばらくは自問自答の日々。
 
 そんな中、定年後知り合った友人が、「ブログをやっている」と自慢げ話していたことをふと思い出しました。  

 試しにその友人のブログを覗いてみると、歴史散歩のこと、家庭菜園のことなどのことが楽しそうに書いてありました。
  
 「楽しそうだぁな」と少し羨ましくなった私。自分にも出来るかな、と早速、同じgooでブログを始めようとチャレンジ。
 
 ところがIDとパスワートの設定に失敗。更新不能の有様。こりゃダメだ、とガッカリ。
 
 もともとボケ気味の私。歳をとると、こんなことも出来なくなるんだ、と自分を責め続けていました。もうブログはコリゴリと、すっかり諦めムード。
  
 でも、いくら暇だとは言え、テレビを視ても、地上波の番組は、どうでもいいような内容の番組ばかり。ニュース、天気予報以外は視る気になりません。
 
 そうこうしているうちに、もうすぐ年が明けようとする昨年の暮れ、ブログのことがどうしても頭から離れずにいた私は、goo以外でブログを書くには、どの会社がいいのか、ググって(この言葉も最近知りました)みたら「はてなはブログ」と言うのが目に止まりました。
 
 そこには、「思いは言葉に」というフレーズがありました。そうか、あまり杓子定規に難しく考えずに、今自分が思っていること、考えていることを書けばいいんだ、と改めて素直な気持ちになり、はてなブログでブログを書くことにしました。

  早速、ID、パスワードを慎重に設定、やっと年末にブログを書くところまでこぎつけました。
 
 先人達のブログには、誰に、何を伝えるか、が大事、と書いてありました。 “誰に”“何を”か、ブログを書くとは言ったものの、一体何を書けばいいんだ?
   
 そこで、考えた末、今住んでいる春日部(粕壁宿、春日部駅東口)のことを書くことにしました。

 春日部は、昔からの宿場町で、古いものも残っています。しかし、春日部市全体では、若年層の人口が減る一方とのことで、旧街道筋もシャッターが下りている商店も多く、元気がありません(もっとも日本全体がそうですが)。
  
 周りを見てもおきな(翁)やおうな(媼)ばかりです(ジジ、ババと書きたくないので、このように表記することにしました)。自分もその中の一人ですので。
  
 折角いいものが残っているのにもったいない限りです。身近なところに良い素材があったのです。
  
 幸い、手元には、春日部に住み始めた頃に興味本位で書き留めたメモや写真がありました。
  
 粕壁宿(私は、春日部駅東口を、勝手にこのように称しています)を中心に日々見たもの、聞いたこと、そして調べたことなどを書くことにしました。他所からこの街に来て、いろいろ書かれているブログはよく見かけますが、地元の人が、書いたものは、あまり見かけません。

 粕壁宿のことを書くことで、寂しい街を少しでも元気にしたい、をこのブログのコンセプトにしました。
 
 また、たまには別のことも書きたいので、考えた末、タイトルを「風天のタケジイ自由帳」として、年末のクリスマスイブに最初の一歩を記しました。
  
 現在までのところ、恥ずかしながら、記事は一桁ですが、あせらず、一本一本記事を書いていければいいな、と思っています。
 

ブログを始めて良かったこと

ちょっとした用事で街を歩くときでも、気になることは、メモするか、写真をとるクセがつきました。また、日頃思っていることを書く(思いを出すこと)で少しスッキリします。

ブログを書くに当たって留意していること

  1. 政治的なことは書かない。
  2. 読者を不快にさせない。
  3. 歴史的なことには、いろいろな説があることに留意する。書いたことが絶対ではない。
  4. もし、間違っていると指摘を受けたら、調べて訂正する。
  5. 引用する場合には、必ず出典を明らかにする。
  6. 書くことは、義務ではない、書くことを楽しむ。ストレスを溜めないように心がける。

今後の目標

 こうして、私はブログ書き始めました。ブログを書く上でのテクニックは、これから勉強していきます。
 
 何しろ、折角書いた文章や写真を保存しないで消してしまったこともあり、今のところ失敗ばかりです。

 また、若い方に読んでいただけるか、正直わかりませんが、自分自身の備忘録として、できる限り書き続けていきたいと思います。
  
 若かりし頃、詩人で劇作家の寺山修司氏は、「書を捨てよ、町に出よう」と言いました。もっとも書を捨てる前に書を読まなくてはいけませんが。
  
 今、私は「テレビを捨てて、町に出ます」そして“思いは言葉に”して、ブログを書き続けたいと思っています。  
 
 ブログを始めたばかりで、誠に僭越ですが、これから、始めようかな、と思っている方へのエールになれば幸いです。

 最後までお読み頂きありがとうございました。


 

かすかべは“萌え”ているか?

   いわゆる「働き方改革」などで、長時間勤務(残業)が改善される会社も最近少なくないそうです。

 そんな中、最近増え続けていると言われているのがサラリーマンならぬフラリーマンと言う造語。最近ネットで知りました。

 「フラリーマン」とは、30〜40代の既婚男性サラリーマンが、家に帰らずフラフラとパチンコ、ゲームセンター、公園などで時間をつぶすと言う意味で使われているそうです。社会心理学者で目白大学名誉教授の渋谷昌三しぶやしようぞう)氏が自身の著書『「上司が読める」と面白い』(2004新講社)で使ったのが初めとのこと。

 そう言われると、このタケジイなどは、さしずめ「ブラリーマン」(ダラリーマンかも)と言ったところでしょうか。昭和の時代、植木等さんは「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌いました。サラリーマンが気楽な稼業だったのは、遠い昔になったんですね。少し切なくなりました。

 新参者のタケジイが春日部に住み始めて、早10年以上が過ぎました。 

 タケジイは、定年後過ごす所として、春日部を選びました。 

 その理由は、

  1. 自然災害が少ない。地盤がしっかりしている。
  2. 平ら、フラットである。タモリさんは、ご不満かもしれませんが崖や坂はありません(内牧は、高地なので坂はありますが)。 
  3. 車を手放しても買い物に困らない。
  4. 医療機関が近くにある。
  5. 遊べる。歴史的なものが残っている。  
  6. 電車でどこにでも行ける。

というものです。他にもありますが、まあ、こんなところです。

 昔、ある方に「住まいを探すのであれば、新しい造成地より古くからの土地、例えば、神社やお寺がある所は地盤がしっかりしていておすすめ。できれば古地図を見てから決めたほうがいい」と言われました。このアドバイスは2011年の東日本大震災で実証されました。

 実は、春日部、宮代、久喜、加須といった埼玉県の東部地区は、縄文時代には、海だったので地盤はさほど良いとは言えません。県内では震度が高い地域です。一方、坂はほとんど無く、ほぼ平らなので歩くのにはとても楽です。

 また、タケジイが重視したのは、「遊べる」という点です。古い歴史的なものに興味があるタケジイにとっては、この点には、ほぼ満足しています。

 春日部は、東武伊勢崎線スカイツリーライン)と野田線(アーバンパークライン)が利用できます。東京方面には、北千住まで、急行で約30分、大宮まで、21分、柏までは単線のため少し時間はかかりますが、41分。また、特急スペーシァに乗ると、栃木、日光、鬼怒川まで行けます。

 春日部市の人口は、平成31年1月1日現在23万4,598人です。前年1月1日現在23万5,716人でした。1年前と比べて1,118人減少していて、平成24年に人口24万人を割り込んで以降も人口減少に歯止めがかかっていない状況が続いています。特に30代、40代のいわゆる子育て世代の市外への転出が目立つているとのことです。  

 問題の解決は、市政を担う方々にお任せするとして、要は、春日部には、魅力が乏しく、子育てに向いていないのでしょうか。残念です。

 ここで、さらに残念なお話を少々。

 春日部は、大袈裟ですが、分断された街です。粕壁宿があるのは東口

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春日部駅東口

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駅前ロータリー

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心の橋

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昭和47年頃の東口駅前(イトーヨーカドー春日部店に掲示してありました)

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オラも春日部好きだゾ!

情報発信施設「ぷらっとかすかべ」(東口)に設置してあります。

商業施設があるのは西口

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春日部駅西口

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春日部駅西口 しんちやんの看板がお出迎え

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西口駅前ロータリー

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駅前の屋上看板にも「オラの街春日部!!」

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昭和47年頃の春日部駅西口(イトーヨーカドー春日部店に掲示してありました)

 と東武鉄道を挟んで分断されています。どちらも反対側に行くには、北側の開かずの踏切か南側の「地下道」のニヶ所しかありません。

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開かずの踏切(伊 第124号踏切道)

横断まで、10分近く待つことも。

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東口に行く西口の地下道入口

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地下道の中

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東口の出口

  草加も越谷も東西にはスムーズに行けるのに、春日部は「なんでだろう⁇」。

  駅前にはこんな看板が

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鉄道高架後の春日部駅周辺未来図

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道高架事業の横断幕

鉄道高架で『つながる東西』活気のあるまちの実現を!!

わろう

いすい

いてき

んりなまち

  鉄道で分断されている街は、魅力も半減し、人口減少の一因になっているのかもしれません。

  昨年、ようやく住民説明会が開催されるなど、鉄道高架事業も少しは前進しているようです。早くスローガンのようになると良いですね。

 そんな、春日部ですが、

 一昨年春から「クレヨンしんちゃん」イベントが、サトーココノカドーこと「イトーヨーカドー春日部店」で開催され、駅西口周辺が熱く“萌え”ました。外国の方の姿も見られました。

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2017.12.28撮影

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2017.12.28撮影

顔デカッ!  埼玉観光サポーター就任おめでとう!

   今年の正月にもクレヨンしんちゃん関連のセールが行なわれました。これからも(4月か5月頃に)イベントが行なわれると思います。

 春日部と言えば、「クレヨンしんちゃん」の街と言うことが、更に定着するといいですね。

他にもアピールできたらもっと良いのですが。それにしても、ソフトパワー恐るべし。

 昨日(1月13日)午後、市民文化会館で成人式があったのか、春日部大通り(旧日光街道)に晴れ着姿の新成人が多く見られました。

 また、スマホ片手に、歩いている方を多く見かけました。中には、タブレットを持っている方も。聞いてみると、「ポケモン」で遊んでいる(?)とのこと。月一回のイベントだそうです。

 タケジイには、よくわかりませんが、「しんちゃん」以外の何かで春日部が萌えるといいですね。もう一つ何か欲しいです。

 横断幕の幕にあるスローガンようになれば、「フラリーマン」も早く春日部の我が家に帰ってくるのではないでしょうか。

  

 

 

※ここに書いたのは、あくまでもタケジイの意見です。よろしくご理解ください。

春日部の八坂神社は何故この場所に鎮座しているのか?

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 粕壁宿(春日部大通り、旧日光街道)に入る三叉路(一宮交差点)の少し右手前に、鎮座している神社が、ここ「八坂神社」(やさかじんじゃ)です。

 八坂神社と言うと、「エッ、京都市祇園の八坂神社?」と思われる方もいらっしゃるかと思います。八坂神社の関連神社は、全国に2千数百社あると言われています。春日部の八坂神社もその内の一社です。近くには、「東八幡神社」、「東町大下稲荷神社」、「日枝神社」などがありますが、粕壁宿の市神様は、この「八坂神社」と言われています。

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直進: 国道4号   左方向:春日部大通り(旧日光街道)右方向:牛島・樋堀方面

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境内の案内板

粕壁宿は、日本橋から九里ニ丁(約三六キロメートル)の距離にある。幅は約九メートルの道沿いには、約一・一、キロメートルもの町並みが続いていた。嘉永二年(一八四九)には、人口は三七七九人、旅籠屋は三七軒あった。宿の入り口にあたる八坂神社は、江戸時代には牛頭天王社と呼ばれた。明和七年(一七七〇)に火災に遭い、詳しい由来は不明だが、宿の市神として信仰された。神社の祭礼は、現在の春日部夏祭りの起源でもあり、江戸時代には毎年絽六月(旧暦)に行われた。

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(江戸時代後期の八坂神社周辺・重要文化財 五街道其外絵図 日光道 巻第ニ 東京国立博物館所蔵)

 ところで、神社を訪れると、社殿が新しいとに気づきませんか。

    今から8年前の平成22年10月25日に放火被災により社殿が神輿共々焼失してしまいました。      その後、関係者の多大なご尽力により、翌年の祭礼までに復興再建され、祭礼は無事齋行されました。

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復興再建された当時の八坂神社 

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八坂神社復興の碑

◎ご祭神 須佐之男命(牛頭天王

◎祭礼日 七月十五日

     (現在七月中の土曜日)

 明和七年(一七七〇年)の火災によって社殿が焼失したため、勧請の由来は不詳である。

 明治以降は、須佐之男命を祭神としてお祀りしているが、神仏分離以前は「牛頭天王」を祀っていた事から、今でも「天王さま」の通称で親しまれています。

 古くから粕壁宿の守護神として信仰厚く、元来例祭は、七月九日から十五日まで一週間にわたって行なわれていました。太平洋戦争後は一時中断していましたが、復興が模索される中、春日部市制二十周年の昭和四十八年からは市民夏祭りとして、毎年七月中旬に例祭が執行され、神輿渡御と山車・屋台巡幸が盛大に行なわれています。

 氏子区域は、旧粕壁町一体の町会であり、通常は宮元である一宮町から総代が選出され、各町会並びに自治会の参加協力のもとで神社の管理運営を行なっています。

 去る平成二十ニ年十月二十五日夕刻、放火被災により社殿が焼失。その後、復興奉賛会を組織して工事を施工し、翌平成二十三年七月に社殿が再建され、内陣他調度品も整えて夏祭りが例年通り無事齋行されました。 

 ここに後世のため、神社由緒を記します。

 平成二十四年七月吉日

 八坂神社氏子中 粕壁二十四町会

 先の案内板もこの復興の碑のいずれも勧請・創建の由来は不詳となっています。

 郷土史家の須賀芳郎氏は、自身の著書『春日部の神社』(1996年)において、

 鎮座年月日は、不詳なれど、『武州古文書』の中に、延文六年[一三六一]の市場祭文に『下総州春日部郷市祭成之』とある。

 これは、春日部市に市場が開かれ、市神様に祈願したときの祭文であることがわかる。春日部では、近在の農民の経済流通の手段として、四・九の日に市がたてられ、米の相場・反物の取り引き・生活物資の取り引き等が盛んに行なわれていた。中世の頃は物と物の交換市であったようである。この市は、昭和ニ十九年頃まで盛んであった。[これを六斎市と言う。]春日部付近では、越ヶ谷・岩槻・杉戸宿でそれぞれ市が開かれいた。

 このことから類推して、この神社の創建は中世の頃と思考される。

  と述べています。日本史では、中世は鎌倉・室町時代とされています。

    明和7年の被災焼失に加えて今回(平成22年)の被災焼失、いずれも地域の人々の力で無事に復興再建されました。これからも八坂神社の歴史の一頁として末永く語り継がれていくことでしよう。

  「八坂神社」のご祭神は須佐之男命」です。須佐之男命」は、備後国風土記(びんごのくにふどき)逸文(いつぶん)の蘇民将来の伝承から、「牛頭天王」は古くから須佐之男命と同一神と考えられてきました。

 その伝承とは、

昔、貧乏な兄蘇民将来(そみんしようらい)と裕福な弟巨丹将来(こたんしようらいという)兄弟のところに、旅の途中の汚れた身なりの旅人(武塔神、のちに牛頭天王と呼ばれる)が訪れ一夜の宿を請いたのに対し、ケチな弟は冷たく断った。一方、兄の蘇民将来(そみんしようらい)は、貧しいながらも、温かく迎え手厚くもてなした。それから数年の後、再び訪れた牛頭天王は、兄の蘇民将来に子孫が代々疫病にかからないための芽の輪(めのわ、疫病除けの呪符)を授けた。そのとき牛頭天王は、「われは、須佐之男命なり」と名乗った、と言う。

というものです。この伝承は、蘇民祭として、東北地方を始め日本各地に今も残っています。 そういえば、10年ほど前でしたか、下帯姿の男性の写真(JR東日本のポスターだったと思います)が物議を醸したことがありました。

 また、須佐之男命も牛頭天王も、どちらも大変な荒神(あらがみ)という点で共通していることも同一神と見做された要因の一つと言う説もあります。

 なお、「牛頭天王」はインドの祇園精舎(ぎおんしようじゃ)の守護神、または、朝鮮半島新羅にある牛頭山の神とも言われ、古くから疫病除けの神とされてきましたが、インドや経由地の中国、朝鮮半島などで、「牛頭天王」を信仰したという痕跡が認められないことから、近年、「牛頭天王」は、日本独自の神という説が有力とのことです。

 牛頭天王」を祀っている神社は、明治元年(慶応四年)神仏分離令まで、「天王社」「天王様」などと呼ばれて人々の信仰を集めてきましたが、「神仏分離令」後は、現在の社名「八坂神社」となりました。

 この八坂神社が粕壁宿のいわば入り口に鎮座しているということは、宿に疫病が入り込まないように、という、疫病除けの強い願いがあったのではないでしょうか。 

   境内は、さほど広くはありません。神社によく見られる御神木も見当たりません。いくつか石碑も残っていますが、光と白カビの関係で、文字は良く見えません(見えてもタケジイには、解読できませんが。)

   そんな中、こんな石碑がありました。

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  猿田彦大神の文字が見えます。側面には、文政二年の文字、文政二年は西暦1819年です。奇しくも今年は、2019年、丁度200年前かぁ、まさに歴史です。

 

 

※ブログに、書いたことは、絶対ではありません。歴史には、その解釈に諸説があります。あくまでも、タケジイの考え、意見ですので、どうぞご理解ください

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かすかべ懐かしの映画物語


(かすかべファミリー新聞社さんのシャッターに描かれたシャッターアート

 落語好きなタケジイは、亭名を「あるき亭さんぽ」と勝手に命名し、一人で悦に入っています。もちろん「散歩」の意味もありますが、「3歩」歩くとすぐ忘れるので、自戒の意味を込めて「さんぽ」です。
 
 7年前、ロンドンでオリンピックが開催された年、ちょっとした不注意で左足の甲を骨折しました。以来、左右の足のバランスが悪く、長時間歩くのは、少し億劫になりました。お医者さんは、「加齢だね」と仰っています。自分でも「かれー、と言われてもなぁ、日本人なのに」と内心思いつつ「仕方がない」と諦めています。それでも抵抗の意味で、毎日8千歩以上歩くことを心がけています。

 ということで、今年も春日部(主に駅の東口)を元気にブラブラ歩きます。徘徊ではありませんので念の為。


 神明通りにある自転車屋さんの前には、

 右は「風と共に去りぬ」、左は「カルメン故郷に帰る

 「風共に去りぬ」は、主演クラーク・ゲーブルビビアン・リー、「カルメン故郷に帰る」は、主演は高峰秀子、小林トシ子、いずれも1950年代の作品です。半世紀以上前ですよね。懐かしい!

 映画の看板があるのは、当地に、2つの映画館「春日部文化劇場」と「東武座」があったから、だと思います(新参者のタケジイには、わかりません)。
 「春日部文化劇場」は、昭和32年に開業し、平成18年に惜しくもその幕を閉じたそうです。
 そう言えば、以前「アド街ック天国」(TV東京、現テレ東)で、かすかべ親善大使のビビる大木さんが紹介していました(間違っていたらごめんなさい)。

 映画館の跡地は、現在マンションになっています。

 一方の「東武座」は、元々は、大正2年に芝居小屋として開業、戦後は主に邦画を上映する映画館になり、昭和61年7月に閉館になったとのことです。

 「東武座」の跡地は、やはりマンションになっています。

 以前、ラオックスがあった場所で、現在、1階にはコンビニのローソンがあります。

 更に進むと、材木屋さんの前には、

 迫力満点、もうすぐ初荷なんでしようか。
 そう言えば、平成25年2月18日に放送された「おじゃマップ」(フジテレビ系列)で、春日部ナンバーワン大工のミツオ工務店の野口美津夫社長が香取慎吾さんと「釘打ち」(だったかな)を競いあつた場所だと思います(間違っていたらごめんなさい)。
 そして更に、


 「粕壁うまいもの横丁」

 美空ひばり里見浩太朗の「花笠道中
駐輪場には、

 ジョン・ウエイン主演「駅馬車

 新名物 あま太郎、1個税込み80円、お安くて美味しいですよ。

フクロウの親子

今年は、一日一笑

お後がよろしいようで。

かすかべ家具戦争は跡取り物語からニトリ物語へ

 

 現代のかぐや姫(家具屋姫)こと、大塚久美子氏が社長を務める大塚家具の創業の地は、春日部であることは、よく知られています。
 3年前、創業者の父勝久氏との親子での経営権を巡っての確執は、世の中の耳目を集めテレビのワイドショーを大いに賑わしました。
 経営者の座を娘の久美子氏に明け渡した父親の大塚勝久氏は、平成28年(2016)2月に閉店した「西武春日部店」の跡地を買い取り、同年6月新たに「匠大塚」を創業、7月から「匠大塚春日部本店」として営業を開始しました。
 当日は、テレビ局も取材に訪れるなど注目され、タケジイも話の種に、開店初日に店内に入りました(店内に入ったのはその時だけ)。1階のフロアーにはレイシングカーなども展示され、さすがインテリアのテーマパークをうたうだけあり、素晴らしい家具並んでいました。
 レイシングカーの前で、偶然にも大塚勝之社長(ご長男)とお話しをする機会がありました。アレッ、先程までテレビのインタビューを受けていた人だ、と少し驚きました。社長は、「地下のデパ地下の後には、スーパー数社から出店のオファーがきています」、と仰っていました。ちょっぴり期待していましたが、その後一向に出店の気配いかがないまま、今日に至っています(何でだろう?)。
 
 その後しばらくは、東武線を挟んでの新旧の家具店が競合する、「家具屋戦争」(勝手にネーミング)状態が続いていましたが、かぐや姫(家具屋姫)の「大塚家具春日部店」は、昨年、平成30年(2018)5月に、残念ながら閉店となりました。また、昨年暮れ、「跡地が売却された」との報道があり、かぐや姫(家具屋姫)は、故郷のかすかべから月(もちろん、月ではないと思いますが)に還っていきました。その後、中国の企業との業務提携との報道を聞いて、月ではなく、大陸へ行ったのか、と妙に納得しました。

大塚さん縁の地(?)


現在の大塚家具春日部店の跡地(寂しいですね)

匠大塚を対岸からみると、こんな感じ
 
 元日は、晴天に恵まれ、風も無く、絶好のお散歩日和だったので、古利根川沿いの遊歩道(「古利根 きらめき通り」)をブラ歩き。
 埼葛橋の所で気になる看板が目に止まりました。それがこれ、

 この場所は、確かロビンソン百貨店の駐車場があった場所だったと思います。「えっ、あのニトリ?」。事業計画標識には、ハッキリ「ニトリ春日部店」と書いてあります。開店時期等はわかりませんが、「ニトリ」が「匠大塚」の目と鼻の先に、出店することは間違いなさそうです。「西武春日部店」、「大塚家具春日部店」の撤退など、暗いニュースが続いた春日部ですが、ほんの少し元気が出たような気がしました。
 それにしても、かぐや姫(家具屋姫)が去って、ニトリの出店なんて、皮肉なものですね。
 まさに、跡取り物語からニトリ物語への始まり、始まり。
 果たして、ロビンソン百貨店があった時の様な賑わいはあるのでしようか。気になります。